理系大学生である僕は、将来に対する悩みがあふれてくる。
就職、お金、人間関係、サークル、研究内容…
悩んでも「こうすれば100%ベストな未来がつかめる!」というような答えが出ないことは分かっていても、「なるようになるさ」と割り切って気楽に生きられるような器用な人間ではない。
だから、「なんとなく良い方向に向かって全体的に右肩上がりの人生になるように」とか「何かしたいと思ったときにその方向へ進める選択肢を持っておくために」とか考えて勉強をしている。
最近はビジネス書を読んだり、アニメを見たりして大学の春休みを過ごしているが、「せっかくの休みをこんな風に過ごしていて良いのかなぁ」「みんなは彼女と遊びに行ったり、バイトを頑張ったりしてるんだろうなぁ」と考えている。
下宿して一人暮しをするまでは、そんなことを考えることもなかったのに、1人で本を読むようになってから「みんなって本当に全員なの?一部の人はめちゃくちゃ努力していてボーッとしてたら僕もみんなと同じように置いて行かれるのでは?」「なんでみんなは『学び』のために大学に来てるのに、講義をさぼってまでバイトをし、そのお金でパチンコに行ったりするの?」「なんでなんの迷いもなく就活を初めて、どういう基準で企業選びをしてるの?」などのように、『みんな』が理解できなくなっていった。
だから、僕はその『みんな』である友達の何人かに聞いてみた。
「なんで?」って…
そしたら、口をそろえて「そんなん考えたことなかった」って…
正直、「は?」って思った。
人生の大事な選択ならもっと慎重に選ぶものじゃないの?仕事選びであれば、自分の得意を活かせる仕事とか、単純にやってみたいと思ったからとか
けど、みんな「業種、初任給、福利厚生」
僕は、なんて堅実で楽しくなさそうな選び方だろうと感じた。
確かに、お金は大切だと社会人として働いていない僕ですら感じる。
みんながお金を基準に企業選びをしているというのなら、お金の勉強としてファイナンシャルプランナー(FP)や簿記の勉強や、新NISA、税金について考えたり実際に手をつけてみたりしているのかと思った。
けど、またもや僕の予想は外れた。「なにそれ。そんなんがあるの?でもよく分からんし怖いやん」って感じ。
『みんな』がそんな感じだから、自分だけ変なのかな?考えすぎなのかな?と、みんなとの違いにとてつもない疎外感を感じた。
けど、偏差値50か少し下の大学生で、何の成果も出せていない僕では、何をするにも説得力もないし、とりあえず、仲間集め?とか日記?とか目的もはっきりしないまま文字に起こしてみた。
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